それからどのくらい経ったのかは分からない。
視界をさえぎられたとあっては、今が昼なのか夜なのかもまったくの不明だ。
椅子に括り付けられたまま、さてどうしたものかと途方にくれる。
無駄な行為と分かりつつも身をよじって手の拘束を解こうとあがくが、手首をワイヤーがただただ傷つけるだけの徒労に終わった。
体中に鈍い痛みが走る。
特にわき腹の痛みは尋常ではない。
軽く息を吐くだけでもじくじくと不快に痛む有様だ。
おそらくあの鼻血を吹いていた男あたりが、気絶した俺を今までの腹いせとばかりに痛めつけてくれたのだろう。
肋骨にヒビでも入っただろうか。
冗談じゃねぇぜまったく。
舌先で口内を探ると、乾いてこびりついていた血液の臭いが広がり、どうにも気分が悪くなって思わず吐き出す。
静かだ。
今、ここには誰もいないらしい。
かろうじて自由な両足を床に叩きつける。
響き渡った反響で、ここがコンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた、それなりに広い空間であることを知る。おそらく、地下だろう。
もしかしたら地下駐車場のような場所なのかもしれない。
舌を打つ。
視界がないというのが実に痛手だ。
時間が分からないからだ。
なんとかして、この不愉快な状況を脱出しなければ、ルパンの予告に間に合わない。
こんな時でも、俺にとってはルパンの逮捕が何よりも重大だった。いつものことだ。
もう一度、後ろ手の拘束を解こうと手首に力を込めたとき、キイ、と重い鉄をこするような音を立てながら扉が開いた。
びくり、と反射的に体がこわばった。
数人の気配を感じる。
先ほど襲撃してきた刺客の数ほどではないが、程よく殺気を蔓延らせた不穏な連中が、3・4人。
そして最後に、今までの連中とは明らかに雰囲気が異なる奴が、もったいぶるような歩調で悠然と俺に近づいてきた。
そうか、こいつがリーダー格か。
「おら、起きろ」
横から前髪を掴まれ、顔を上げさせられる。
頭皮の吊る鋭い痛みに思わず顔をしかめる。
この声には聞き覚えがあった。あの鼻血野郎だ。
「ちく……しょう……離せ……」
髪を掴まれることに対する不満の意を示そうと口を開いたものの、同時に襲ってきたわき腹の痛みに威勢を殺がれ、自分でも情けないほどの弱弱しい言葉にしかならなかった。
その有様に気を良くしたのか、鼻血男はなお一層強く前髪を掴み上げ、ガクガクと頭を揺さぶる。
途端にひどい眩暈と吐き気に襲われ、受けていたダメージが思いのほか重いことを再度知らされる。
髪を離されたと同時に体が前のめりに沈みこみ、急速に意識が遠のく。
だがそう簡単には眠らせてもらえないようだ。今度は鼻血男とは逆の方向から張り手を受け、やっと乾き始めていた唇の傷から再び血が飛び散った。
「……うっ……」
ひとしきり三下たちの洗礼を受け、ぶり返してきた全身の痛みに呻いている俺の様を真正面で見物していたリーダーと思しき男が、喉の奥でくく、と笑う。
余裕こきやがってこの野郎、後でみてろ、と無性に腹が立つ。
だが、このまま一方的に殴られてやるつもりはなかった。
調子に乗った男の一人が、俺の正面に立ち胸倉を掴みあげた。
シャツのボタンがはじけとび、布の引き裂かれる甲高い音があたりに響く。
そしてそいつが一発お見舞いしようと拳を固めた、その瞬間。
渾身の力を両足に注ぎ込み、手前の男を蹴り飛ばす。
まさかこの状態で反撃があるとは思わなかったのだろう、男は奇声を上げながら後ろに向かっていとも容易く吹っ飛んでいった。
がしゃんという、派手なクラッシュ音が遅れて響き渡る。
男たちに動揺が走った。
「こいつ!」
おなじみの鼻血男の濁声が響き、同時に右頬を殴られる。
その衝撃で更にわき腹に強い痛みが走ったが、してやった感のほうが強く、思わず口の端に笑みを浮かべてみせる。
その時、一人だけ蚊帳の外と可能な限り気配を殺しながら俺を観察していたリーダー格が、初めて声を出した。
「さすがに、一筋縄ではいかないようだ」
不自然な声色だ。おそらくボイスチェンジャーなどで声を変えているのだろう。
衣擦れの音がすぐ横で聞こえる。
どうやら自身のポケットを探っているようだ。そして何かを取り出したらしい。
次の瞬間、全身に走る衝撃と黒布を通して見えた激しい青色の光、そして鼓膜に刺さる火花の散る音が俺の体を突き抜けていった。
「……っァ!」
もはや声にもならない悲鳴が、辺りに響き渡る。
衝撃は数秒にも満たない一瞬の出来事だったが、その効果は絶大だった。
体を支える力が根後そぎ奪われ、がくりと頭を垂れる。
手や足がしびれてまったく動かすことが出来ない。酸素をほしがる喉がヒューヒューと音を立てるだけだ。
「どうだね、このスタンガンは。対凶悪犯罪用に開発されたのだがちと威力がありすぎてねえ……お蔵入りになったものだ。いくら君でもこれに対抗する事はできないだろう」
不快な電子音声で流暢に語る男の声が、まるでガラス越しに聞いているかのように遠くに感じる。
何か悪態のひとつもついてやろうと懸命に口を動かすが、からからに干からびた喉からはまともな声として発することすら出来ない。
また、髪を掴まれて顔を上げさせられる。
冷や汗が頬を伝って胸元に落ちる。
もはや何の抵抗も出来なくなった俺に満足したのか、目の前の男は再び低く笑った。
同時に、かすかだが何か覚えのある匂いがしたように感じた。
この笑い方、この匂い。俺の記憶の片隅で、何かを知らせる警報が鳴った。
俺はおそらく、いや間違いなく、この目の前の男を知っている。
「さて、本題に入ろうか」
男が一歩前に出て高らかに宣言する。
来たか。
俺をこんなところに引っ張り込んで縛り付けておくくらいだから、何か用があるとは察しがついていた。
そうでなければ通信室で倒れたときに、一発止めを刺しておけばいいだけの話だ。
わざわざ危険を冒してまで俺を連れ出す必要があるとしたら、目の前の男にとって俺は何かしらの利用価値か、または情報を保持していると思われているからに相違ない。
ならば脱出の勝機を得るチャンスがあるかもしれない。俺は緊張に身を硬くした。
「何、簡単なことだよ。君はあの時、何を見た、何を聞いたか。まずそこから聞かせてもらおうか」
ああ、やっぱりか。
やはり問題はあのデータだったらしい。
あの時、まさにあのタイミングで賊が襲ってきたことを考えると、どうやら黒幕はあの部屋での出来事を一部始終監視していたのだろう。
そんなことが出来そうな者は、どう考えても警察関係者しかいない。
それも、それなりに上層部の相手だろう。
多少のいざこざや目撃情報をもみ消す自信があるからこそ、こんな強硬手段に出れたのだろうから。
「へっ……そりゃァ、あんたが思ったとおりのものを見ちまったんだろう、よ。だからあんた、俺をここに連れてきた、んだろう?え、警視監の、桜井さんよぅ!」
荒い息をなんとか整え、たどたどしく言葉を搾り出す。
この時点で、俺は相手の正体に確信を持っていた。
ルパンを長く追っていたせいか、俺は人の特徴や雰囲気を一瞬にして把握、記憶することが出来るようになっていた。
変装の達人であるルパンの正体にいち早く気がつくには、鋭い観察力が必要だからだ。
目の前の男からかすかに香る臭いはおそらく葉巻だろう。
そして、独特の喉で押し殺したような笑い方、イントネーションの使い方、これらを総合すると自然に相手の正体が浮かび上がる。
まあもっとも、相手が俺の知っている人間だからこそ、奴らはこんな目隠しで、わざわざ視界をさえぎっているのだろうが。
男は一瞬息を呑むような音を立て、しばらくその場で固まった。
やがて、ふ、と力を抜き、再びあの独特な笑い声を上げる。
「まいったな、どうやら君を侮っていたようだ。私とはまったく面識がないと思っていたのだが」
「俺ァ、一度出会った奴の特徴は、絶対に忘れねぇ。6日前、帰国したときに本庁であんた、に一度会釈したことが合ってだな。その時も香ったんだよ、その葉巻の匂い、がな」
言葉を吐き出すたびにわき腹の痛みがひどくなる。
やはり、何本か肋骨がやられているらしい。
だが、聞かずにはいられなかった。
この男の背後に渦巻く、どす黒い陰謀めいた「何か」正体を、俺は警官として知る必要がある。
「あんた……一体、何、企んでやがる」
問いの答えの代わりに、喉元にひやりと冷たいものが押し当てられた。
すぐにそれがナイフだと気がつく。
おそらく先ほど女の子を人質にしていた、あの外国人のものだろう。
ぐ、と刃先が喉に食い込む。皮膚を薄く切り裂くその感触が、余計な事は一切言うなと暗に語っていた。
「余計な詮索は身を滅ぼすものだよ」
男…桜井が呆れたような口調で咎める。
正体がばれていると知って開き直ったのか、ボイスチェンジャーを使うことを諦めたようだ。
「長く生きていたければ、長いものに巻かれることだ。そして目をつぶって耳をふさぐことだ。これがどういう事か分かるかね。取引の現場をまさか押さえられるとは思ってなかった。私のプライベートルームに盗聴器が仕掛けられているのを知ったときは、実に生きた心地がしなかったよ」
それも君みたいな厄介な相手にね、と吐き捨てるように言い放つ。
どうやらこいつらは俺が取引の現場を目撃し、記録を取ったと思い込んでいるらしい。
こつこつと床を叩く音がする。
不機嫌そうに底の固そうな靴先で、床を打ち鳴らしているようだ。
しばらく等間隔でビートを刻んでいた桜井だったが、ひとつ鼻を鳴らすと、再び口を開いた。
「銭形君、君は、今の警察体制についてどう思っているのかね」
唐突な問いかけに絶句する。
人をこんな目に合わせて何が警察体制の良し悪しだ、と叫びそうになったが、奴の真意を知るチャンスかもしれないと必死に言葉を飲み込んだ。
そういえば桜井警視監は、やせぎすで背の高い、鋭い目をした男だった。
まだ若く有能だが、しかし腹の底では何を考えているか分からない、そういうタイプの人間だったと思う。
数ヶ月前、警視監に就任してから精力的に警察内の不正に対し厳格な処置を行っていた、風紀の鬼としても名を馳せ恐れられていた。
そんな「打倒不正」の男が、なぜ自ら率先して大量の武器の密輸などを行っているのか、その理由が知りたいと思ったのだ。
「今の警察体制は腐っている。不正の嵐だ。皆自分の手柄のために他者を踏み台にする嘆かわしい状況だ。だから警察は世間から悪者扱いされる、そうだとは思わないかね」
桜井はしきりにその場を歩き回っているようだ。
感情が高まると、その場にじっとしていられないらしい。
俺は沈黙を保った。
桜井は続けた。
「だからこそ今、警察の権威と信頼を復活される必要があるのだ。警察組織が国民を管理し、守り、安全を提供する理想的な図式を今こそ実現させなければ警察に未来はない。警察力のすばらしさと有能さを全国民に知らしめる必要があるのだ。力が必要なのだ。そのためにはまず、何が必要か君には分かるかね」
俺の回答など鼻から期待していないくせにいちいち問いかけてくるのが癪に障る。
かといって何か言葉を発しようとすれば、喉もとのナイフが軽く皮膚をすべり、次々に傷を刻み込む。
このまましばらく桜井のワンマンショーに付き合わされるのかと思うと、ため息が出る。
自分自身の言葉に酔い出した桜井は、なお一層声を張り上げて、自分の妄想を語りだす。
だが次に飛び出した言葉は、俺の血の気を引かせるには充分な威力を持っていた。
「そう!必要なのは強大な敵だ。国民の生活を脅かす恐るべき敵を作り出す必要があるのだ。つまりはテロだ。テロの恐ろしさはこの平和ボケした国の住人も知っている。テロがひとたび起これば国民は助けを求めて警察を頼るだろう。警察はテロと戦う、まさに最後の砦になる。そして見事テロを撃退する。するとどうだ、国民は自分の生活、そして命すら守り抜いた勇敢な警察機構を後世まで語り告ぐだろう。そうして警察は国民とより強く結託し、信頼と尊敬を受け、より繁栄するのだ。新たな警察国家の誕生だ」
長演説を歌でも歌うようにうっとりと行う桜井は、まるで狂気が乗り移ったかのようだ。
こいつはいったい何を言っているんだ、と、俺は思わず耳を疑った。
警察の威厳を復活させるためにテロを必要とするなど、まるで喜劇だ。
滑稽すぎて反吐が出そうだ。
そして、その瞬間、あの大量の武器の使用用途に気がつく。
眩暈がした。
まさか、そんな妄想のためにこの男は、こいつらは。
「察したようだね。その通りだよ。果報は寝て待て、では遅すぎるのでね。手っ取り早く済ませる方法はいくらでもあるんだよ」
顔色がなくなった俺の胸の内を見抜いたのか、桜井は手を叩きながら子どものように喜んで見せる。
大量の武器という恐ろしいおもちゃを手にした性質の悪いガキだ。
両手が自由なら問答無用で投げ飛ばしてやりたいと思う相手だと心底感じた。
桜井の手がシャツの襟首を掴む。
先ほどまでの乱闘ですでにボタンの大半が吹き飛び、縫い目が引きつれを起こしボロボロになっている。
こんな日に、なんで卸したてのシャツなんか着てきたんだ俺ァ、と、自分の運の無さを密かに呪った。
桜井は息がかかるほどに顔を寄せてきた。
嫌悪感に全身があわ立つ思いだ。
なぜ、この話を君にすると思う、と耳元に内緒話でもするかのように問いかけられる。
このとき、俺は目隠しされていたことを少しだけ感謝した。
目の前にアップで広がる狂気に取り付かれた男の面なんぞ、見たくもねェ。
「君は、良くも悪くも有名だからねえ。出来ればその知名度を利用したいと我々は考えたのだよ。もし君が我々と志を共にするなら、喜んで私は迎えようと思うが」
どうかね、といかにも君の意志に任せると言いたげな様子で打診をしてみせるが、襟首を締め上げる強さには「YES」以外の回答は一切求めておりませんという自己主張が、実に分かりやすく伝わってきた。
まったく、どこまでもこの男の行為に反吐が出る。
てェことはだ、おまえらは警察の威厳とやらを復活させるためにありもしねェテロリストたちを作り出して、今を平和に生きている人たちの生活を脅かすことを、警察の未来だというわけか。
そんな茶番で大量の武器が人を傷つけ、生活の場を破壊し、ただ普通に今日を生きる人たちの幸せを根後そぎ奪う、それが警察のすることだというのか。
……冗談じゃねェ。
「断る!」
当然だとばかりに、短く吐き捨てる。
途端に喉元にナイフが食い込んだが、もう構ってなどいられなかった。
桜井の口元から、ぎりりと歯を噛み締める音が鳴った。
思い通りにならない苛立ちをぶつけるように、襟首を掴んでいた手が喉に食い込む。
気道の大半を塞がれ、まるで陸に打ち上げられた魚のようにもがく。
頭が酸素不足にガンガンと痛む。
そして、絞められたときと同じように唐突に手が喉から離れ、せき止められた呼吸が一気に回復し、その衝撃に激しく咳き込む。
体力がいい加減限界を超えていた。
後ろ手に椅子にくくられていなければ、このまま床に崩れ落ちていただろう。
口の端から唾液と血液が入り混じったものがあふれ溢れ出し、一層気分が悪くなる。
目が回る。
「もっと君は、賢い判断をすると思っていたのだが」
桜井の声には、哀れみすら含んでいた。
余計なお世話だこの野郎。
悪党の言いなりになって生き延びるくらいなら海に飛び込んだほうがまだマシだ。
言ってやりたいことはあまりに多く、実にバリエーションに富んでいたのだが、どれも言葉になる前に気管支で咳と共に散り散りになった。
油断すると速攻気絶してしまいそうだ。
もはや気力だけで意識をつなぎとめている状態だ。
残念だよ、と、桜井が俺のそばから離れる気配を感じた。
それが取り決めとばかりに、また手下の一人に髪を掴まれる。
いい加減頭皮がむしりとられないか心配だ。
「仕方が無い、君には消えてもらうとする。だが困ったことに君を消すのは容易ではない。言っただろう、君は良くも悪くも有名だと。特に明日のルパン三世による東京タワーでの予告が実にネックだ。君が現れなければ不振がる者も多い。そこで考えたのだが」
相変わらず一言一言が長い奴だ。
良く息が続くと感心すらする。
だがおかげで、今が予告の前日だと知ることが出来た。
どうやら通信室から拉致されて、少なくとも半日以上経っているらしい。
桜井が横の男になにやら指示を出す。その言葉は日本語ではなかった。
男が遠ざかり、再び駆け寄ってくる気配を感じる。
かちゃり、と金属のこすれる音が聞こえる。
銃だ、と、とっさに理解する。
傷だらけになり出血しているだろう喉元に、冷たい銃口が突きつけられた。
桜井の高揚した声が頭上から降り注ぐ。
「そうだ、君には東京タワーで死んでもらうことにしよう。シナリオはこうだ、ルパン逮捕のために君は単身でタワーに潜入する。同時にテロリスト集団がタワーを占拠する。そこで君たちは遭えなくテロの凶弾に倒れる。その後テロリストはタワーを爆破する。そうなれば東京は阿鼻叫喚の渦だ。彼らを一掃するのは私率いる有能な警官隊だ。君の弔い合戦もかねたテロとの戦いをドマラティックに演出しよう。ハハハ!我ながらいい案だと思うんだがねえ。まさに一石二鳥というものだ。何、あの赤い塔は元来お払い箱になる予定のものだ、消えてなくなってもすぐに代わりのものが出来る。まあ、多少の犠牲は出るかもしれないが、尊い犠牲を乗り越え我々は一丸となってテロの脅威と戦う、なんて美しいことだろう。実に我々はこの計画をずいぶん前から綿密に行ってきた。君の出現で多少タイムスケジュールが早まったがまあいいだろう。計画は明日、日本のシンボルの消滅から始まるのだ」
閉ざされた地下空間に、男の声がこだまする。
シンバルを鳴らすサルのおもちゃのように手を叩きつつ、桜井は自分の考えを世紀の天才が考え出した発明のように褒め称えだした。
自分が正義と信じて疑うことは一切ない。まるでなんかの新興宗教の教祖様にでもなったかのようだ。
吐き気がする。
こいつの声に対して本能が全力で嫌悪を示している。
「狂ってやがる」
怒りは言葉となった。
「お前ェの考えは、単なる妄想だ。なにが理想の警察国家だ馬鹿、お前ェの存在の方がよっぽどテロだ。そんなことはさせねェ。同じ警官として俺は、お前ェを許さん。絶対に、だ」
桜井の手を叩く芸が止まった。
あたりに再び沈黙が訪れる。
聞こえるのは自分自身の荒い呼吸だけだ。
喉に食い込んだ銃口が、更に強く押し当てられる。
「馬鹿な」
桜井の声に、初めて怒りが混じった。
「……我々を止めるというのかね、君は。知らなかっただろうがこの計画は警察だけでなく政府界からも賛同者が多々いてねえ。単なる警部の君一人がどうこう出来るほど単純な計画ではないのだよ」
「そんなことは関係ねェ。止めるっつったら止めてやる。俺は、警官だ。ただ普通に暮らす住民を守るのは、警官の役目だ。それを脅かす奴に、警察の資格なんかねェンだよ!」
「実に陳腐なヒューマニズムだ。大きな流れを変えるには多少の犠牲は必要なのだ、どの時代もそうだっただろう?たくさんの血の上に未来は重なっているのだ。理想の世界を作るために、今は小さな存在のことなどかまってはいられないのだ」
小さな存在。そう、こいつは言い切った。
普通の生活を普通に送る国民は、この男にとっては死のうが生きようがどうでもいい存在なのだ。
カッ、と全身が怒りに燃える。
腹の底から咆哮する。
「桜井ィーッ!!」
ろくに動かない体をよじって、目の前の奸物に掴みかかろうともがく。
両手首に食い込んだ手錠とワイヤーが、容赦なく皮膚をえぐるが、すでに痛みは感じなかった。
だが、必死の抵抗は長くは続かなかった。
再び全身に衝撃が走る。
とっくに限界を超えていた体力に、スタンガンの一撃はあまりに堪えた。
頭の中が一瞬にして真っ白になり、目の前に火花が散る。息が出来ない。
遅れて、自分の絶叫が耳に届いた。
気が遠くなる。
「君が死ぬのは明日だ。それまで残された余生を楽しむことだ。私にはやることがたくさんあるのだ。せいぜいあの世で、理想の警察国家が構築していく様をルパンと共に見物することだな」
遠ざかっていく男たちの足音を、最後まで聞くことはできなかった。
重い扉が閉ざされ、一人椅子にくくられたまま取り残された俺の意識は、すでに闇の彼方に飛ばされていた。
|