鈍い痛みと共に、急速に意識が戻ってくる。
重く、なかなか開こうとしない瞼を無理やり押し広げ、周りを確認しようと試みる。
しかし、目を限界まで見開いても目の前に広がるのは、目を閉じていたときと大差ない、闇。
厚手の黒い布のようなもので目の辺りをぐるぐると巻かれている状態だと、数秒遅れて気がついた。
ふさがれた視界で何とか自分の置かれている状況を知ろうと体を動かそうとしたが、両腕は背後に硬く拘束されびくともしない。
手錠に繋がれ、さらにその上からワイヤーでがんじがらめに縛り上げるという念の入れようだ。
どうやら、今の自分は簡素なつくりの椅子に無様に括りつけられている状態だと判断、ますます困惑する。

……どういうことだ。ここは、一体どこなんだ。

鈍く痛む頭を軽く振り払う。
今まで自分に何があったのかを思い出すために、どうにか冷静になろうとする。
一体何があった。必死に脳内の記憶倉庫を掘り起こす。
確か、俺はあの時、警視庁の通信室にいたはずだ。
東京タワーで開かれる、昭和の古き良き時代を凌ぐ、昭和を代表する物品を展示するという趣向の展覧会に、ルパンの奴からの予告が入ったのは今から6日前のことだ。
その展示会の目玉として並ぶ、日本に初めてテレビ放映がされた番組のマスターテープを狙うという事なのだが、そんなものにルパンがいったい何の価値を見出したのか俺には理解できねェ。
だが、奴が盗みを働くというなら、それを阻止する義務が自分にはあるのだ。
予告状が警視庁に届いた知らせを受けた数時間後には、俺は何ヶ月ぶりかの日本に向けての飛行機の中にいた。
日本にたどり着いた瞬間から、俺の時間はあっという間に過ぎていった。
東京タワーの見取り図を片手に、当日の警備状況や進入路の割り出し、マスターテープの保護方法などを徹底的に指導し、と、常に走り回っていた。
まさしく警視庁と東京タワーを往復するだけの毎日だ。
寝る時間もろくに取らず動き回る俺を、さすがに心配した部下たちに一度本庁に戻って休憩してくれと懇願され、やむなく警視庁の敷居をまたいだ時には、予告前々日の深夜だった。
真夜中の警視庁には普段の数分の一しか人気がなく、通信室にいたってはまったくの無人であった。
もともとこの通信室は普段から人の出入りが少なく、それゆえに仮眠を取るのに実に重宝しているお気に入りの場所でもあるのだが。
無機質に並んだパソコンの列をなんとなく目で追いながら、窓際に置かれたソファーにひっくり返る。
横になったとたんに全身から疲れが滲み出て、あっという間に心地よいまどろみが訪れる。
このまま眠りの波に攫われそうだと感じた瞬間、通信室全体に無遠慮なベル音が大音響で鳴り響いた。
反射的に体が飛び上がり、その反動でソファーから落下する。
しこたま背と尻を床に打ち付けてしばらく悶絶するも、すっかり意識はまどろみから覚醒してしまったようだ。
尻をさすりつつ音源の方を見ると、部屋の角に置かれているパソコンの上にでかいベルを二つ頭に乗せた目覚まし時計が乗っている。
そいつが先ほどから飽きもせずにジリジリとやってくれているわけだが、よくよく目を凝らすと、そのパソコンだけはどうやら電源が入りっぱなしになっているようだ。
不審に思い、パソコンに近づき、マウスを軽く動かす。
途端にスリープモードだった画面に光がともり、同時にメーラーが立ち上がる。

……受信、1件。

先ほどの目覚ましの件は、これを見せるためにわざわざ設置したんだろうと容易に想像がついた。
そして、警視庁にこんな酔狂な仕掛けを易々と行えそうな奴は、俺の知る限り一人しか該当がいない。
あの野郎、いったい何を企んでいやがる。
ふつふつと怒りがこみ上げ、躊躇することなく、受信メールを開く。
中を確認するとそこには、「lupin3.000.000」という実にふざけたIPアドレスと、FTP情報が記載されているだけだった。
なんだァ、こりゃあ。
このFTPを繋げってことか。
ご丁寧に、メールにFTP接続のためのソフトが添付されているところを見ると、それなりに理由があってのことらしい。
罠か、と一瞬身構えたが、まあ奴の手にかかればこんな小細工などをせずとも警視庁のサーバーをダウンさせたり情報を流出させたりなど朝飯前だろう。
ならば、と、腹をくくって指定されたFTPアドレスに端末を繋ぐ。
リモートサイトに表示されたのは、圧縮データ1つのみだった。
迷わずそれをダウンロードする。
解凍する。
出てきたのは数枚の写真データと、音声データ。
写真を開くと、それはパソコンの画面を撮影したもののようだ。
モニターの最大値までに、その画像データを拡大する。
パソコン画面に映し出されていたものは、どうやら何かの取引をデータ化した内容のようだ。
ただ、その取引されている物が「プラスチック爆弾」だの「ショットガン」だの、と到底一般向きではない案件ではあったが。
取引先名は全てイニシャルで書かれていたが、内容からするに極道関係者から買い付けていることはまず間違いないだろう。当然のことながら、重火器は密輸によるものに違いない。
残りの写真も皆似たようなものだったが、1枚だけ、パソコンをアップにせず少し引いた位置から撮影されたものがあった。
写真の端に写りこんでいたのは、オフィス用の机の列。
はっとして、周りを見渡す。
同じだ。この写真データの机の並びと、この部屋の外観がまったく一緒なのだ。
この写真は警視庁内で、しかもこの部屋で撮影されたものだと気がつき、愕然とする。
では、この物騒な取引内容の記録はいったい何か。
押収したヤクザ連中の証拠物件かとも思ったが、それにしては内容があまりにも大きすぎる。
この取引で得ただろう武器の数々は、まるで戦争でもおっ始めようとするかのような、膨大なものだからだ。

「なんだ、これは」

思わず、自分自身に言って聞かせるようにつぶやく。
警視庁の中で撮られた、恐ろしい量の武器を密輸・買い付けたという記録。
それがいったい何を意味するのか、脳裏をよぎった想像に思わずぞくりとする。
全ての答えはきっと、この音声データにあるはずだ。
想像するに、この取引相手と買付け主の商談を傍受した内容かそこらだろう。
逸る気持ちを何とか押し留め、備品としておかれていたヘッドホンをパソコンにねじ込む。
そしていざ音声を再生させようとしたとき、背後でことり、とかすかな物音を感じた。
振り向こうと身をよじった瞬間、横っ面を張り飛ばされ椅子から転げ落ちる。
思わぬ攻撃に受身も取れず、背をしたたかに打ち付けて息が止まる。
間髪いれずに今度はわき腹に衝撃を感じ、おもわず呻く。
目だけで相手を確認すると、いつの間にか通信室には男が数人入り込んできているようだ。
ぎらついた野生動物のような殺気を湛えたそいつらは、どう考えても警察関係者ではなさそうだ。
連中は判で押したように一言もしゃべらずに、床に転がっている俺を見下ろしながらゆっくりと近づいてくる。
一人が、俺の腕を掴んで引きずり上げようと手を伸ばした。
待ってましたとばかりに、そいつの腕を掴み返し、その勢いで手前に巴投げる。
男は、仲間を数人巻き添えにしながら吹っ飛び、つぶれた蛙のように動かなくなった。
なぎ倒された連中が、憤怒の表情で一斉に飛び掛ってきた。
次々と拳や蹴りが繰り出される。
それらを回避し、もしくは受け止め、掴みかかる相手を片っ端から殴りつけ、放り投げる。
何発か頬に衝撃を感じ、口の中に苦い鉄の味が広がったがかまっている暇はなかった。
この通信室はメイン通路から奥まった場所にあるため、この部屋付近に用事がない限り人の出入りはない。皆無に近い。
ましてや今のような真夜中では、まさかこの部屋でこのような乱闘が起きていようとは、当直の連中は想像することはまずないだろう。
ならば、自分だけで何とかするしかない。

「野郎!」

初めて連中の一人が声を上げた。思わぬ反撃に動揺しているようだった。
幸い、連中は数だけが物を言うレベルでしかなかったようだ。肉弾戦なら俺の敵ではないだろう。
それを悟ったのか、鼻血を滝のように流しながら先ほど真っ先にふっ飛ばしてやった男がナイフを取り出し、果敢にも再び挑みかかってきた。
わずかに刃の切っ先が肩を掠める。だがそれだけだ。
繰り出されたナイフを握る手を蹴り上げがら空きになったボディに一発食らわせる。
男は、ああ、ともうう、ともつかない奇妙な音を喉の奥から立てつつ、再び地面に沈み込んだ。
あたりに静寂が訪れた。
息を切らしながら敵たちを睨みつけると、気迫に圧されたのか皆一様にびくりと体を震わせ後方に一歩ずつ下がっていく。

「お前ェら、いったい何が目的だ。……どうやってこの警視庁に入り込んだ」

戦意を喪失しかけた男たちは、互いに目線を合わせつつ尚も後方に下がり続ける。
中にはすでに腰が引けていて、大声を出して脅かしてやったらそのまま失神しそうな奴もまでいる。

「まあいいだろう、俺に用事があるなら聞いてやる。だがその前に俺の用事をお前ェらに聞いてもらわにゃならんがな」

床に棒鱈のように伸びるナイフの男を飛び越し、ずんずんと前に進むと、男たちはわあ、と蜘蛛の子を散らすように逃げ出しはじめる。
やれやれ意気地がネェな最近の刺客は、と手前で行き場を失っていた、まだ30にも達していそうになさそうな若造をとっ捕まえ胸元をつかみ締めあげる。
そいつは今にも泣き出しそうに顔をゆがめながら、なにか言葉にならないことを口の中で、もごもごとわめいている。

「よーしいい子だ、何、とって食おうって訳じゃねェ。お前さんをここに派遣して俺を襲わせた奴がいるんだろ、そいつについてちょっと話してくれりゃあカツ丼の一杯もご馳走してやるぜ」

連中が襲撃してきた原因は、思うところどう考えても1つしかない。
やはり、ルパンが送って寄越したデータが絡んでいることは想像に難くなかった。
だとしたら、先ほど脳裏をよぎった考えが一気に現実味を帯びてくる。
警視庁の誰かが、大量に武器の買付けを行っている、という仮説。
それがいったい誰の差し金なのか、そもそも何のためにこんな大量の武器を買い込んでいるのかを知る必要があった。
もし、それらを使ってなにか良からぬことを考えている警察関係者がいるのなら、同じ警官としてその行為をとめる義務がある。
若造を掴みあげる手に力が篭る。
そいつは短く女のような情けない悲鳴を上げた。

「さあ話せ。俺ァせっかくの仮眠時間を削られて最高に機嫌が悪ィんだよ。……10秒以内に単語を2つ以上口にしネェと、ママごめんなさい僕は悪い子ですって言うまでぶん殴るぞ」

その時、通信室のドアの方で短い悲鳴が聞こえた。
はっとしてそちらを見ると、逃げ出したはずの男の一人が傍らに女の子を従えて部屋に飛び込んできたのが確認できた。
彼女は先ほど警視庁に戻ってきたときに愛想よく会釈を返してくれた受付の子だ。
おそらく、いつものように通信室を占領している俺のために、茶などを持ってきてくれたところを襲われたのだろう。
喉元にナイフを突きつけられた彼女の顔色は、蝋のように真っ白だった。
男は言葉を一切話すことはしなかったが、顎をしゃくってみせる。
そいつを離せ、という事だろう。俺はやむなく宙に吊る寸前まで掴みあげていた若造の胸倉を離してやった。
途端にそいつは俺の手を振り払い、脱兎のごとく部屋から飛び出していった。どこまでも気の弱い奴だ。
部屋に再び静寂が訪れた。
男は人質にナイフを向けたまま相変わらず一言も口にしない。

「その子を離せ。無駄だ。投降したほうが身のためだぜ」

無駄と知りつつ、極一般的な解決案を相手に提示する。
案の定、男は口の端だけで笑って見せ、ナイフの先をより一層彼女の喉元に食い込ませた。
息を呑む、悲痛な叫びが彼女の喉の奥で鳴る。

「逃げられねぇぞ。ここは天下の警察の本拠地だからな」

もう一度声をかける。
今度は、男は低く声を押し殺しつつ笑い出した。どうやらしゃべることは出来るようだ。
突然、後ろから羽交い絞めにされる。
今まで足元でぶっ倒れていた奴が、今までの恨みとばかりに俺の腕をねじり上げる。
こいつ一人なら振り払うことはできそうだったが、人質の前では手も足もでない。
屈辱に目の前が赤くなる思いだ。
鼻血が顔面全体に飛び散った壮絶な顔を勝ち誇ったようにゆがめ、背後の男は尚も腕を締め上げる。
思わず短く叫ぶ。

「……ならば、なぜ俺たちがここまでノーチェックで入り込めたと思う?」

人質を携えた男が、初めてまともな人語を発した。
発音が日本人とは多少異なるように聞こえた。東南アジア系の外国人だろうか。
怯え果てていた彼女の表情が、さらに恐怖にゆがむ。

「だがお前は、それを知ることは出来ないが、な!」

ぎらぎらと輝く獣のような目をまっすぐにこちらに向け、男が吼える。
同時に、後頭部に鋭い衝撃を感じた。
体の平衡感覚が一瞬にして失われる。
しまった、と感じたがすでに後の祭りだった。
床に倒れこんだ衝撃を最後に、俺は意識を手放した。



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