No.13「正義」


---確かに、奴の事ァ今でも許せねえ、だが。

そうも吐き捨てるように言ったアンタの言葉は、どこまでも憎しみに満ちていた、と思う。
実際それだけ奴の所業は許されざるものだったはずだ。
警官でありながらマフィアに通じ、がさ入れの日時や捜査員の氏名、挙句の果てには詳細な写真までをことごとく流していたのだから。
結果、潜入捜査に当たっていたアンタの同僚が命を落とす事になった。
ひどい死に様だった、全身蜂の巣だったという。
同じ警官として許せる事じゃない、そう呟き、黙り込んだアンタの拳が怒りでふるえるのも尤もな事さ。
それはアンタだけでなく、あの場に居合わせた署員全員が同様に思っていたことだろう。
だが怒りの対象であったあの野郎も、マフィアの上の連中に揺さぶりをかけ金をせしめた段階であっさりと海に浮く事になった。
当事者の死によって、この件は煮え切らないまでも一応の決着がつくはずだった。
だが。

---だが、子どもらには何の罪もないはずだ。

裏切り者はその家族ごと抹殺せよ。
そんな今どきはやらない古風な掟を掲げているマフィアたちの手は、あの男の周辺、ことに残された二人の子どもたちに向けられた。
その情報は早くから署内にもリークされていた。
しかし子どもを救うために介入する事はこの辺ではそこそこ名の知れたマフィアをまともに相手する羽目になるという事実。
実りに対しリスクがあまりに高いこの件は、当然のことながら歓迎されなかったわけだ。
火の粉をあえてかぶるにはあまりにも割に合わないと考えたのだろう。
あの男に対する感情的な憎しみも相乗効果となり、誰もその腰を上げようとはしなかった。
見て見ない振りをする、そんな暗黙の了解が漂いだした署内を飛び出したのはほかならぬアンタだった。
余計な事をするな、アンタはルパン逮捕のためにこの署内を間借りしているに過ぎないだと叫ぶ上司の声すらも、丸ごと無視して。
燃え盛る家の中から泣き叫ぶ子どもたちを連れ出した、そこまではよかった。
だが当然、マフィア連中は自分の使命を全うせんがために3人を執拗に追い回す。
行方を遮る男たちをがむしゃらになぎ倒しつつ、アンタは走った。
せめてこの町を出る事ができれば、マフィア共の手が届かないところまで逃げ切れば、この子達だけは助かるかも知れねえ。
そんな不確定な望みに全てをかけて、アンタは両脇に子どもを抱えてどこまでも走った。
子どもたちも恐怖と父親を失った悲しみに耐え、自分たちを守ろうとするたった一人の東洋人の警官を信じて必死にしがみついていた。
信頼できるのはもはやこの人しかいないと、子どもながらにもしっかりと理解していたのだろう。
だが逃避行はそう長くは続かなかった。
退路を立たれつつ、気がつけば、町外れの「再開発予定地」に追い立てられていた。
再開発とは名ばかりで、頓挫した計画の末、遺棄された廃墟の町が立ち並ぶだけの場所。
いよいよ人気はない、たとえ人がいたところで助けはまず望めない、絵に描いたような絶望的なゴーストタウンだ。
あえてこの場に誘い込まれたのだ、そう気がついたときには四方を人相の良くない男たちに囲まれた後だった。
この場でなら、たとえ人間が3人消えたとしても誰にも気づかれることはない。
数日後に原型をとどめなくなった死体が海に浮かぶだけだ。
子どもたちが小さく悲鳴を上げた。
迫ってくる男の中に、自分の父親を目の前で撃ち殺した張本人がいたからだろう。
抱き合い震える子どもたちの前にす、と立ち、アンタは目の前の男を一瞥した。
ざっと10人ほどだろうか。
しかもどいつも凶器をこれ見よがしにぶら下げていやがる。
対してアンタはどうだ。
いままでの乱闘で既に全身ぼろぼろじゃないか。
刃物がかすった腕の傷からは、いまだ血が止まらずシャツを赤黒く染めている。
頼みの綱のコルトは、とうに全弾使い果たした後というとどめ付だ-…どう考えたって分が悪すぎる。
まともな神経の持ち主なら、なりふり構わず遁走を試みただろう。
だがアンタはその場を動こうとはしなかった。
背後で身を寄せ合うまだ幼い姉妹の命を守るために、その場を動こうとはしなかった。
じりじりと、しかし確実に、包囲の輪が狭まる。
勝利を確信したのだろう、男たちは皆、肉食獣を思わせるようなゆがんだ笑みをその面に張り付けていた。
不意にアンタの口が動いた。
後ろの子どもたちに「振り返らずに走れ」と短く告げた。
姉妹の姉のほうが、驚いたように顔を上げる。
でもおじさんは、という声をさえぎり、アンタはもう一度走れとだけ告げる。

---なァに大丈夫さ。お嬢ちゃんたちは絶対守ってみせっからよォ。

こんな場には不釣合いな、凛とした声でアンタはそう言い切って見せた。
自信に満ち溢れた、優しい声。
…その時、彼女は確かに見たのだろう。
自分を、そして妹を守ろうとするその背中の大きさを。
こちらを振り返る事もなく命を懸けて戦おうとしている男の、本当に大きな背中を。
ふ、と少女の表情が緩んだ。

---守られているのだ私たちは。だから、大丈夫。

そう思わせるほどに、自分の前に立つ男の背中は頼もしかったはずだ。
そしてその背中は、消えかけていた幼い二人の心に「勇気」を芽生えさせたのだ。
いけ、という言葉にはじかれたように走り出す二人。
同時にアンタは、敵陣に向かって全力で突っ込んでいく-…子どもたちとは逆方向に。
一度だってアンタは振り返る事はなかった。
その必要はないことをアンタは良く良く知っているからだ。
今自分が盾となり、目の前の男たちを出来る限り食い止めていれば、あの子達だけは助かるかもしれない。
そんな淡い期待がただの一片でも残されているなら喜んで命を懸ける。そして戦う。
そう言う男さ、アンタは。
ナイフを振りかぶる大柄な男をなぎ倒し、続いて殴りかかってきた茶髪野郎に肘鉄をお見舞いする。
走り去る子どもたちに向けて銃を発砲しようとする男に気がつき、その銃を奪おうと飛び掛った。
何度か乾いた破裂音が響きわたり、はるか彼方に主を失った銃が蹴り飛ばされる。
流れ弾に掠めた肩に痛みが走ったのだろう、思わず顔をしかめたがそれも一瞬のことだった。
再びアンタは男たちの前に立ちふさがる。
何度だって立ち上がり、子どもたちの盾となろうとするだろう。
絶対に守り抜く、その確固たる意思は何があろうと揺らぐ事はない。
だからアンタは振り返ったりはしないのだ。
アンタの背中は守る人たちにいつだって向けられているべきものだから。
いつだってそれは変わらない、アンタの「正義」なのだから。

怒号と悲鳴で騒然とする廃墟の町を見下ろしながら、俺はワルサーに手をかけた。
ふと目をやると、こちらを向いたままの背中が敵の1人を豪快に投げとばしたところだった。
そういえばあの時も1人、見事にぶん投げられてたっけなあ…アンタはもう、とっくに忘れただろうけど。
懐かしさに思わず目を細める。
どこまでも大きい、頼もしいと感じたあの背中。
敵をなぎ倒していく豪快な姿。
敵対勢力に追い詰められた少年の前に突如現れたその旅行客は、一度も振り返ることなく目の前の男たちをなぎ倒していったんだ。
そう、今となんら変わらない、信念に満ちたその背中を少年に見せ付けて。
あの時助けたちび助が、その瞬間アンタを「選んだ」と知ったら、…どんな顔をするんだろうなあ。
不意に、驚愕に目をまん丸にしたアンタの顔を想像し、その場で盛大に吹き出した。

---さてと、そろそろ動きましょうか。

カシン、と小気味良い音と共に銃弾が装填される。
あの誇り高き背中を薄汚ぇ手で援護するなんて野暮な事はしないさ。
そして、その必要がないことは、「あの時」からずっと分かっている事だ。
だからこそ俺は、自分を追ってくれるライバルとしてアンタを選んだのだから。
崩れかけた柱の上から俺は音もなく地上に降り立った。
そして意気揚々と走り出した。
もちろん、カワイコちゃん二人に10年後のディナーの予約を取り付けるために

銭形警部に挑戦する20のお題 No.13 「正義」

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